I just cannot tell...

どうも説明できないオタクのブログ

eighterになったきっかけ

※かなりの長文です。

 

私は小3まで、関ジャニ∞どころか、ジャニーズとは無縁の世界に生きていた。この年になって初めて女子がよく話す「嵐」というのが人気のアイドルグループということを知ったぐらいだ。

友達に「嵐では誰が好き?」と聞かれ

「嵐って何?」と返した私に、友達全員が衝撃を受けていた。

(その日以来、「みんな好きだから選べない」という言葉に逃げるようになった)

私が通っていた小学校での嵐人気は凄まじく、多分私以外のクラスの女子全員が嵐ファンだった。その子達のお母さん達でさえもファンだった。嵐すごい。

 

そんな中、私の母(現在は熱狂的な丸山担)がママ友に嵐のDVD(10周年のMV集だったと思う)を借りてきた。母はテレビをよく見る人で、嵐のメンバーは全員把握していて、2008年の大野くん主演のドラマ「魔王」で、かなり大野くんに注目していた。

そんな母はA・RA・SHIのMVを見て見事に大野くん沼に落ちた。TSUTAYAで見つけたCDをすべて一気に借り、その日から車で聴く曲は全て嵐になった。

車で曲を聴いていたら、そりゃあ覚える。家に帰ってDVDがテレビに映っていたら、そりゃあ見る。いつのまにか私は母に巻き込まれ、当時までのシングルなら知っている茶の間ファンになった。

 

母はドラマの効果や、歌やダンスや絵などの天才肌に惹かれて大野くんの担当になった。私は櫻井くん担当になった。理由は

友達A「嵐では誰が好き?」

私(やっべ)「うーん、みんな好きすぎて選べないな〜」

友達B「え〜!甘党は櫻井くん好きでしょ!賢いし!」

私(そうなの?)「じゃあ、櫻井くんかな?」

まさかの友達からの圧力である。

 

これがなければ多分当時の私に担当はいなかった。

 

そんな私が初めて関ジャニ∞の存在を知ったのは、毎月欠かさず読んでいた漫画雑誌「ちゃお」に連載されていた「わいわいっ☆Hey! Say! JUMP」の、山田涼介くん主演のドラマ左目探偵EYEの現場レポの回だった。

山田くんの演じていた役の兄として出演していたヨコが、2ページほど出ていた。関ジャニ∞という文字を初めて見て、読み方も分からなかったし、∞マークの意味さえ知らなかった。

 

小3の春に関東から関西に引っ越し、転校先はまさかのインターナショナルスクールだった。クラスの半分くらいが日本語が話せない外国人の子だったり、日本人でも帰国子女だったりするインターでは、音楽からファッション、流行の全てが海外だ。今まで普通に日本の小学校に通っていた私にとっては別次元だった。

もうかれこれ5年ちょいになるが、今までで唯一流行った日本の流行はようかい体操第一くらいだ(笑)

そのまま時が過ぎ、小5になった。私は嵐ファンの知り合いがいない学校生活で、母は嵐ファンのママ友が周りにいないことで、テレビ番組は追いかけるものの、少しずつ嵐から遠ざかっていた。

 

そんなある日、事件は起こった。

学校から帰ってきたら、関ジャニ∞好きやねん、大阪。が流れていた。ダイニングテーブルには、8ESTの初回限定盤Aが堂々と置いてあった。

どうしたのかと聞くと、少し前から気になっていたそう。その当時の私の関ジャニ∞の認識は、あの時ちゃおに載ってたごちゃごちゃしたグループ名のグループ。そういやこの前しやがれで嵐と対決していたな、くらいであった。

次の日から、流れる音楽全てが8EST収録のシングルになった。さすがの私も母に「嵐が泣いてるよ」と言った程だ。

そんな風に文句を言っていたら、母がある曲を聴いてほしいと言ってきた。CDを入れると。

 

「やいやいやいやい言いな!よそはよそうちはうち!はよ寝え!!」

そう、まさかの∞SAKAおばちゃんROCKである。

当時小学生だった私を引き込むには十分なインパクトであった。

その後中母と一緒に見始めた特典映像・「ガチンコ祭り! センターは俺だ!!」を見た。そこらのバラエティーより面白いじゃないか。全然顔と名前が一致しないのに(色で追っていた)、叩いてかぶってジャンケンポンで大爆笑し、イス取りゲームでは浮世踊リビトに一目惚れした(その曲に再会し、曲名を知り、CDを手に入れるのは、約1年半後の話である)。とにかく無茶苦茶楽しんだ。

そんな中気になったのが、茶髪で可愛い髪型をした、声の高い青の人である。運動神経も紫の人と並んでトップクラスで、なんか凄い。と思ったのが始まりだった。

センターは俺だ!!を見ていくうちに、いつのまにかその青い人を応援している自分がいた。最終的に優勝できなかった時は、少ししょんぼりした←

そのまますごはちなどを見て、少しずつ私は母につられて関ジャニ∞が好きになっていった。

 

母はCD屋で置いてあったアルバムを全て買いあさり、母はいつのまにか丸担となっていった。(舞台ギルバート・グレイプの記者会見の姿が格好良くて惚れたそうだ。これが全てのきっかけ。) 

その後8ESTのツアーDVDも見て、曲名は一致しないものの、母と一緒に何回も見て、ずっとヤスくんを目で追っていた。

それなのになぜか私はお茶の間ファンにとどまっていた。自分でもなぜかわからない。ところがどっこい。

 

JUKE BOXのアルバムが発売された。

 

これでとどめをさされた。音楽性の高さに驚き、メンバー1人1人の声に惚れた。これがきっかけで本格的に曲が頭にインプットされていった。関ジャニ∞イントロクイズにはかなり自信があるようになったのはここらへんからだ←

 

そのままJUKE BOXのツアーが映像化されると、ますますのめり込んだ。

 

この人達は一体何者なんだ(震)

 

その後母は少しずつずつライブ映像やカップリングの目的でCDを必死に集めてくれて、十祭の開催が発表されると、FCに入会し、応募したが、見事に外れた。

そんな中、関ジャニズムに当選し、大阪の初日、始めて生で関ジャニ∞を目にした。まさかのアリーナ、中央のでっかい花道のまっ隣だった。なんと言えばいいのだろう、等身大の関ジャニ∞がそこにいたこと、彼らが実際に生きていたことが感動的すぎて、この気持ちは簡潔には述べられない。またいつか別の記事で書きたいと思う。

運がいいことにレコメン!!の公開収録にも当選し、この前映像化された元気が出るLIVE!!の大阪初日にも、母と一緒に参加することができた。

 

こうして安田担である今に至る。長文失礼しました。

 

さっ、もうすぐ待ちに待った関ジャニ∞クロニクルの全国放送。楽しみ!